top of page

菱屋から約10キロ、益子町の益子焼を見にこう!

(黒毛和牛ヒレ)

菱屋でステーキを食べた後には、

是非、栃木県観光に足を運んで頂きたい・・・!


今回は、菱屋から約10キロ。車で15分程で楽しめる「益子町」の名産

「益子焼」についてご紹介させて頂きます^^



●益子町とは・・・

関東平野の北に位置し、栃木県南東部に位置する芳賀郡の町。

小貝川が町西側を北から南へと流れ、その河岸の平野部が町の大部分を占めています。

町の南部は茨城県と県境を接し、丘陵地となっています。

益子焼の産地で、毎年、ゴールデンウイークと11月3日前後に「益子大陶器市」が開催され、500を越える店舗が出て賑わっています。



●益子焼きとは・・・

江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩(現笠間市)で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことにより始まったとされます。

益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていました。その後1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなります。

現在、窯元は約250、陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。春と秋には陶器市が開かれます。



●濱田庄司さんとは・・・

いいものには個性を超えた普遍性がある」

生活と結びついた工芸品つくりを目指した民芸運動の推進者。大正9年26歳の時、英国の陶芸家バーナード・リーチと共にイギリスの田舎町で共同の窯を開いて以来、世界的な陶芸家として60年以上にわたって第一線で活躍し続けました。

そして、1924年濱田庄司がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと共に 民芸運動を推めるかたわら、地元の工人たちに大きな影響を与え、益子焼は 「芸術品」としての側面も、もつようになります。


↓当時のインタビューがこちら




●濱田庄司記念益子参考館に行こう!

陶芸家である、濱田庄司が自ら参考とした品々を、広く一般の人々にも「参考」にしてほしいとの意図のもとに、開設された美術館です。

濱田庄司の自邸・工房の一部を活用し、彼が生前に蒐集した品々と自身の作品をはじめ、僚友であった河井寛次郎、バーナード・リーチらの作品等を展示しています。(HPより)

素敵な庭園と建物の中に展示された作品達は、一見の価値ありです!


《 住所 》

〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町大字益子3388



是非、益子町にも足を運んでみて下さいませ!


閲覧数:183回0件のコメント
bottom of page